松下幸之助から学ぶ、人を活かすリーダーの在り方

パナソニック(旧松下電器産業)を一代で築き上げた日本屈指の経営者であり、経営の神様と称される松下幸之助――
財産もない、学歴もない、健康にも恵まれない、両親も兄弟姉妹の大半を亡くしており身寄りもない、そのような状態から事業を興し、大きな成功を築き上げました。

松下幸之助がどのように逆境や困難を乗り越えてきたのか、
またどのように人を活かし、社会を巻き込んでいったのか。
松下幸之助の挑戦と生き様から、20代を生き抜く力を学んでいきたいと思います。

松下幸之助の経歴

 松下幸之助は、明治27年11月27日、和歌山県に生まれました。樹齢800年ともいわれる松の大樹の下に家があったことにちなんで松下の姓がつけられたと言われています。両親と7人の兄弟からなる家族の中、三男末子だった松下幸之助は、非常に可愛がられて育てられました。松下家は小地主の階級で、かなりの資産家でもあり、幼少期はお金に困ることもなく、平穏な日々を送っていたようです。
 しかし、その幸せも長くは続きませんでした。松下幸之助が4歳のときに父親が米相場で失敗し、松下家の土地と家を人手に渡して一家は和歌山市に移住し、父親は単身で大阪に働きに出ることになりました。そこで父から、「大阪八幡筋の火鉢店で小僧が要るとのことだ。幸之助を寄こしてほしい。」という手紙が届き、幸之助は単身、大阪に丁稚奉公に出ることになったのです。当時、小学4年生、9歳のときのことでした。

 丁稚奉公で大阪に出た松下幸之助は、仕事をする中で言葉遣いや行儀、また商人としてのイロハをしっかりと学びました。奉公を始めて5年経ったころ、大阪市では全市に電気鉄道の線路が敷設されました。そこで松下幸之助は、「これからは電気の時代だ」と新時代の到来を予感しました。奉公先を後にし、大阪電灯株式会社の内線係見習工として採用されます。
 松下幸之助の内線係・工事としての腕はよく、「検査員」という位に最年少で昇格するほどでした。あこがれの地位を得られた達成感は束の間、次第に物足りなく感じられ、同時に肺尖カタル(結核症の一種)にかかり、医者からは養生を勧められ、健康に不安を抱くようになります。不安定な日給生活を続けるのではなく、いっそ妻と2人で何か商売でも始めようかと考えた松下幸之助は、ついに独立を決意。大正7年3月、松下電気器具製作所(現パナソニック)を創業し、電気器具の製造販売に邁進していったのです。松下幸之助がまだ22歳のときのことでした。

松下幸之助の過ごした20代

 松下幸之助は22歳のときに、それまで勤めていた電灯会社を辞め、事業化としての人生を歩み始めました。財産もない、学歴もない、健康にも恵まれない、両親も兄弟姉妹の大半も亡くなっているということで、スタートは決して順境だったわけではありません。しかし松下幸之助は、その状況をマイナスとは捉えませんでした。
「からだが弱かったから、人に頼んで仕事をしてもらうことを覚えた」
「学歴がなかったから、常に人の教えを請うことができた」
「財産がなかったから、幼いうちから商人としての躾を受け、世の辛酸を味わうことができた」
傍から見ると逆境と言えるその状況をもプラスに転じ、不況でも好況でも一貫してペースを崩すことなく着実に会社を発展させていったのでした。

 それからの松下電器(現:パナソニック株式会社)の躍動は周知の通りでしょう。
電球用ソケットから始まって、ラジオや白熱電球、音響、映像、家庭電化等の機器の製造・販売事業を行うエレクトロニクスメーカーとして、会社の発展と日本の復興再建を一致させ、生活必需品の生産・販売に全力を集中し、著しい成長を遂げていきました。
松下幸之助自身、パナソニックを一代で築き上げた偉業から「経営の神様」と称され、PHP研究所の設立や、晩年は松下政経塾を立ち上げるなど、倫理教育や政治家の育成にも意を注いだのでした。1950年以降、長者番付では10回全国1位を記録し、40年連続で全国100位以内に登場しました。この時期の幸之助はまさに「億万長者」で、一生で約5,000億円の資産を築いたと推定されています。

松下幸之助 5つの金言

 松下幸之助の人生哲学や経営における考え方は、経営者やビジネスパーソンの中で今でも根強い人気があります。ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正氏は、人生で最も大きな影響を受けた人物として松下幸之助とピーター・ドラッカーの2人を挙げており、松下幸之助の著書をほぼすべて読んだと公言しています。またエイチ・アイ・エス創業者の澤田秀雄氏も、松下幸之助の『人を活かす経営』を愛読書に掲げています。
 私たちが「20代をいかにして生きるべきか?」そして「人を活かすリーダーとしての在り方とは?」という問いに対して、自分なりの答えを出すためのヒントとして、松下幸之助の大切にしてきた生き方を表す5つの言葉を紹介したいと思います。

1. 志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ず開ける。

 志とは、デジタル大辞泉によれば「ある方向を目ざす気持ちや、心に思い決めた目的や目標」と定義されています。志を立てるのはいつからでも可能であり、老いていようと若かろうと、自分が達成すると決めたゴールさえあれば、道は必ず開かれると松下幸之助は述べているのです。
 志がなかったとしても、いわゆる学校を卒業し、仕事でお金を稼ぎ、老後を暮らす…といった生活は容易に想像ができるかもしれません。しかしながら、人や社会を動かす人財として大きな成果を創り上げるには、間違いなく欠かせないのがこの志でしょう。
一人では成し遂げられないことを成し遂げるために協力者を巻き込み、組織をつくる。
その求心力となるものが志です。
 
 あなたは一度きりの人生を、何に向かって、どのように生きると決めているでしょうか?

2. 流れのないところ水は腐ります。国家といえども、流れのないところ水は腐る。同じことであります。日に日に進化、進歩しなくてはならない。進歩のないところ渋滞します。渋滞するから問題が起こってくる。きわめて簡単なことであります。

日々生きていると、線路の枕木のごとく問題や悩み、葛藤にぶち当たることはあるでしょう。時に逃げ出したくなること、立ち止まりたくなることもあるはずです。
しかし松下幸之助は、発想を逆転し、「進歩のないところ渋滞します」と言っています。つまり問題があるから前進できなくなるのではなく、前進していないから問題があるのです。
 悩むこと、迷うことはありますが、それをも抱えながら前に向かって進んでいくことこそが、結果その悩みや迷いを打開する大きな打ち手なのかもしれません。

3. なんとしても二階へ上がりたい。どうしても二階へ上がろう。この熱意がハシゴを思いつかせ、階段をつくり上げる。上がっても上がらなくてもと考えている人の頭からは、決してハシゴは生まれない。

 何か物事を成すには、強い願望と堅い覚悟が求められます。「できたらいいな」ではなく、「どうしてもやる」と強く願うこと、そして最後まで諦めずやり抜くことが成否を分かちます。
 松下幸之助は、こうも説いています。
“知識なり才能なりは必ずしも最高でなくてもいい。しかし、熱意だけは最高でなくてはならない。”
知識や才能に必ず上がいることは付き物ですが、目の前の物事に誰よりも熱意をもって取り組むことは、知識や才能ではなく本人が決めるものです。そして自分次第で一番になることもできるはずです。

成し遂げたい志・願望に対する覚悟と熱意こそ、人の上に立つリーダーに欠かせない条件ではないでしょうか。

4. 私は、人間というものは、たとえていえば、ダイヤモンドの原石のような性質をもっていると思うのです。すなわち、ダイヤモンドの原石は、もともと美しく輝く本質をもっているのですが、磨かなければ光り輝くことはありません。

 松下幸之助は、経営において「人間大事」を大切な思想としていました。つまり「人には素晴らしい価値、偉大なる可能性がある」という前提を敷き、あくまで事業づくりではなく人づくりを一番に考えていたのです。
 本来として美しく輝くダイヤモンドのような存在だからこそ、内在する価値をしっかり磨くことが大切です。つまり自分の成長や能力開発に対して妥協をせず、とことん可能性を探求していくことが、自分という人間を活かすことに繋がります。そして自分を大切にするからこそ、人を大切にし、人の持つ価値や可能性を引き出せる自分になっていくのではないでしょうか。

5. 自分の天分を見出し、存分に生かす切ること。それこそが真の成功である。

 松下幸之助は、人は他の人と異なる存在で、一人ひとりが自らにしかない天分を必ず持っていると述べています。天分とは、「天から与えられた性質・才能・職分」という意味ですが、それを生かし切ることこそが真の成功であると説いているのです。

 他の人との比較をしたり、差を見て自分を小さく捉えたりするのは効果的ではありません。あくまで自分の力が100%発揮されている状態や理想とする姿から考えて、現状を評価することが大切です。そして成功とは、大金持ちでも大企業に就くことでも高学歴であることでもないのです。そうした社会的な成功像ではなく、あくまで自分の持つ天分を活かしきること、自分の目指す理想へと前進することに焦点を合わせましょう。

 そして自分にしかできないこと、自分だからこそできること、自分特有の強みや持ち味が必ずあります。
あなたの持つ天分とは、いったい何でしょうか?
それを活かすことは、あなたの人生や社会にとってどのような意味がありそうでしょうか?

――――――――――――――――――――――――――

松下幸之助の人生観や経営観は、時代を超えて、老若男女問わず語り継がれています。自らの成功やパナソニックの成功のみならず、まさに社会を動かすリーダーとして、人々の生活がより豊かになるよう最後の最後まで貢献の人生を全うしました。
偉大な成果や影響を創り出した、根本にある考え方の一つは「人間大事」であることは間違いないでしょう。人の持つ可能性・価値に対する信念とも言える「人間大事」の思想が、周りの人を活かし、そして何より自分自身を活かしたのだと思います。

今ある悩みや問題に焦点を当てるのではなく、自分にしかない天分や志を貫く生き方こそが、社会をも動かす20代に求められる力なのではないでしょうか。

参考
松下幸之助.com<https://konosuke-matsushita.com/>
週刊現代<https://gendai.ismedia.jp/articles/-/36142>
幸之助論 (著者) ジョン P. コッター / (監訳)金井 壽宏

酒井友登
【アチーブメント株式会社 人事部 採用・育成チーム】関西学院大学卒業後、2016年度アチーブメント株式会社に新卒として入社。個人向けコンサルタントとして、200名を超える経営者やセールスパーソン、また医師や士業の目的・目標達成のサポートを行う。全社員のうち7名が表彰されるアチーブメントフィロソフィーアワードを2年目で受賞するなど、コンサルティング部の中で成果を挙げ、現在は人事部 採用・育成チームに所属し、主に自社の新卒採用を担っている。
Scroll to top